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②調弦

 ギター調弦と同じく,E, A, d, g, h, e (4,4,4,3,4)の四度と三度を組み込んだ開放弦となっており,五度調弦であるチェロやヴァイオリン属とは異なる.

③指板

 金属のフレットを24つけている点でギターと共通する.ギター愛好家には音程をとりやすい楽器と感じたことであろう.しかも小型で持ち運びがたやすいという利便性から,アルペジョーネが使われ始めた当時はギターとのデュオや歌の伴奏などで流行したのではないかと推測できる.

5)アルペジョーネの代用楽器と楽譜

 現在同ソナタに関する演奏では,この楽器の代わりにヴィオラ,チェロ,コントラバスなどを用いて演奏されることが多い.その他,フルート,アルトサックス,トランペットなどの管楽器でも演奏されている.
 参考までに,ファクシミリ版をフランスの楽譜社フュゾ(Fuzeau)が現在も出版している.内容を見るとチェロのように縦弾きの構え方や通常のスケール練習曲,そしてボーイング奏法など基礎的な教則本となっている.

6)アルペジョーネの衰退

 アルペジョーネは1823年から1832年までの楽器しか発見されておらず,世間から忘れられた幻の楽器となって現在に至る.ではなぜ衰退したのだろうか.
 ≪アルペジョネ・ソナタD821≫を作曲したシューベルトといえば,彼の新進気鋭の音楽仲間が主催した親密な音楽サロン「シューベルティアーデSchubertiade」が知られている.
 石井によると, シューベルトの友人であるショーバー(Franz von Schober, 1796-1882)が起こした「シューベルティアーデ」は, 詩と芸術の創造性を貴ぶ芸術活動であると同時に,メッテルニヒの保守反動政策に対抗する活動でもあった.シューベルトらは, 政治的な支配からの自由を若者の力と音楽によって訴えようとした.が,公開のコンサートはなく,密会のため記録も残っていない.10)

 またヒルマーは「若者文化への監視が厳しい環境はつづき,1828年にシューベルティアーデはシュパウン(Spaun, Josef von, 1788-1865)によってシューベルトの追悼をし,これが最後のサロンとなった」と述べている .11)

 このような背景からわかるように,衰退理由を示すような資料や文献は皆無に等しい.
 
 筆者はしかし, 楽器を復元した経験から衰退理由については以下のような推察をしている.
1.楽器という側面から捉えると, 商品化が困難であったことが挙げられるのではないだろうか.当時は受注生産であったため,世間に大量には出回らなかった.
2.製作段階では金属フレットの調整が難しい.その上ガット絃や部材の調達不足などが商品化の足かせになっていたのではないかと考えられる.
3.また,ヴィオラ・ダ・ガンバのように宮廷音楽で庇護された「高級」楽器ではなく,一部のギタリストやチェリストたちの趣味として愛好されたマイナーな楽器であったため,大衆化しなかったのではないかとも考えられる.
 
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