新しいチャレンジをする場合、この意気込みとプロセスには「守、破、離(理)」といわれる。
つまり、解釈は以下だという。

最初は、伝統を原則的に”守る”こと、
次に、これを”破る”こと、
そして、””離れること、
さいごには、統合化、創造化に”理する”こと

この教えはだれのものかわからない。たしか武道の教えだったか?
これをふと思い出した、楽器づくりにも当てはまると、いまごろになって感じたのだ。

ヴァイオリンの神様に崇められているストラディバリウスやガルネリのような名器は工房が目指す最高の目標だ。

しかし、よくよく考えれると、その当時の部材やニス、膠などはまったく同じものがない。
なので楽器は100%同じものは作れない、という原則、現実を最近とみに感じるようになって、ちょっと楽になった。
形、スタイル、そして工程プロセスなどの手順はマネできるのだが、部材と乾燥程度、年代などはまったく同じにはならない。
したがって板の厚みを同じように削ったり、胴体の膨らみをマンネリに作りだすのは所詮はむだなんだ。

とはいっても先代の知恵や寸法はすばらしく越えられない、まして完全に伝統から”離れる”のは不可能といえる。現在は過去の積み重ねであり、点が線につながっている原理があるのと同様だ。一気に過去から今の時点には飛ぶことはなかったはずだ。

現在の部材を扱う現実からすると100%のマネは意味のないことだ。当時のいい部材は現代の環境からするともう手に入らないからだ。
伝統に忠実につくてもそれなりに守りに入る、したがって新鮮味はなく、オリジナリティや創造性に欠ける。

むしろ現状の部材をよく熟知して、よく鳴る楽器づくりには多少の変容は許されるものではないかと思うようになった。つまりは”理する”ことに集中するのが得策で、この思想を「ネオ・クラシック」となずけもよいに違いない。

クラシック演奏は再現音楽だ。古典派、ロマン派など多様な作曲家に現在は会ってどう演奏するべきかを聞くことができないのだから、結局は譜面をどう解釈するか、にかかってくる。
50%は譜面を基盤で忠実な再現が必要だが、その他は演奏家の解釈とその演奏技術にたよるしか手がない。

だからといって「守、破、離(理)」をなんでもあてはめてみようなど意気込んではいけない!
ものは程度というものがあるんだね、と自問自答している今日この頃だ。
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コメント

守、破、理

こんにちは。シリーズ楽しみにしています。
「守、破、理」の理は「離」と書くものが多いのではないかと思います。「再構築するプロセス」ということではどちらでも当てはまると思いますが。

離れる、でした!

ご指摘のように「離」が正解ですね。このことわざって、たしか武道でしたっけ?

守破離

茶道、だったと思います。ただし、千利休の言葉だと思っている人が多いけれどもそうではなく、後世の(あまり知られていない)茶人が最初に書き、それを武道の人が引用した…とそんな流れで、結局原典を調べてもよくわからなかった記憶があります。

本題に戻ると「この現代に古楽器を再現する、とは何なのか?」という問いなわけですね。

古楽器の復元

復元の限界とともに、楽器の鳴りを追及して創造力をいかに入れ込むか、という点の葛藤なんです。
皇太子浩宮さんのヴィオラ、これを製作されたのは、クレモナの石井高工房。石井先生はいままでに古楽器を復元され、著書にたしか「秀吉がが聴いたモーツアルト?・・」だったかでかなり苦悩されたお話が掲載されていました。これは製作したことがある人なら共感する部分がおおいですね。

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